up! 2005年01月14日

大切なものが見えてるだろうか?

”物”というものは、同じものでも人によって大切さの度合いが違います。

手紙や年賀状など、人から頂いたもの、特に手書きのものは判断の基準も難しいです。

ですが、結局大事なものというのは、物を捨てないと見えてこないんですよね。

少々の痛みや失敗をともなうとしても、実際にそれを経験してみないことには、それが大切なものであったかどうかはわからないものなんです。

このように、自分自身でもわからないぐらいですから、ましてや他人から見たら全くわかりません。
他人の持ち物を捨てる場合は、いくら親子だとしてもよくよく確認してからにしましょう。


さて、そのような経験を経ることで少しずつわかってくる、自分自身にとっての大切なもの。

あなたは今、目の前に広がるごちゃごちゃの部屋を見て、自分自身にとっての大切なものがはっきりと見えているでしょうか?

投稿者 kuppie : 11:05 | コメント (0) | トラックバック

時間とお金に換算してみよう

『いつか使うだろう』のいつかは、まず来ることはありません。
使うときの来ないものを、ずっとしまいこんでいることはありません。

物は、そこに置いてあるだけで、あなたの貴重な時間と場所を消費します。
ましてや場所には、かならず家賃や税金というかたちでお金がかかっています。

一度計算してみてください。
不要なもののために、あなたはどれくらいの時間とお金を使っているでしょうか?

投稿者 kuppie : 10:34 | コメント (0) | トラックバック

”いつか”は永遠にこない

『いつか使うことがあるかもしれない』

こう言って、なんでも押入れにしまいこんでおく人がいますが、
その”いつか”は永遠にこないと思って間違いはありません。

ですから、そう思ったものは捨ててもいい物であるはずです。
さぁ今すぐ捨ててしまいましょう。


また、仮にその”いつか”が来たとしましょう。
来たとしても、そのしまいこんだものは、しまいこんだ当時の美しさ・利便性をたもっているでしょうか?

まずありえないことだと思います。
だから捨ててもかまわないんです。


『価値のある貴重なものかもしれない』

そう言い訳をする人もいるかもしれません。
しかし、そのように貴重なものだったら、しまいこんだことを忘れてしまいそうなところに果たしてしまっておくでしょうか。

また仮にいくら価値のあるものだったとしても、
あなたはその”価値あるもの”を押入れから見つけるまでに、特に不便は感じてなかったでしょう。

だったら今さら必要ないのです。

結局”いつか”というのは永遠にこないのです。

そしてそれは、捨てないことを正当化するための”言い訳”にしかすぎないというわけです。

投稿者 kuppie : 10:31 | コメント (0) | トラックバック

up! 2005年01月13日

天下の回りモノ

”金は天下の回り物”という言葉がありますが、今の時代は”モノは天下の回りモノ”であると言えます。

インターネットのショッピングやオークションなどを利用すれば、珍しいもの、貴重なもの、遠方のものなど、あらゆるものが手に入ります。

昔だったらいざ知らず、こんなすばらしい時代に生きているわれわれは、いちいち自分のところになんでもかんでも溜め込んでおく必要はないわけです。

必要になったときにだけ、手元にあるようにすればいいのです。

それには、レンタルだったり共同所有だったりオークションだったり、いろんな手段が考えられるのです。

投稿者 kuppie : 01:16 | コメント (0) | トラックバック

物のリストができるか?

物が多いことは悪です。
家が必要以上に広すぎるのもよくありません。

なぜでしょうか?

自分が把握しきれない、制御しきれないほど多くなってしまった物量は、目に付かないものがどうしても出てくるからです。

一年のうちで目に入らなかったものは、その後数年間はきっと目には入らないでしょう。

同様にして、広すぎる家も考え物です。

物が多いことと同様に、場所を使い切れないからです。
使い切れないものは必要ないのです。

物も家の広さも、頭の中でリストアップができる程度あればいいのです。
むやみに広いことが偉いことではないのです、

投稿者 kuppie : 01:04 | コメント (0) | トラックバック

 
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